「妊娠」だけがゴールでいいのか?:日本の不妊治療でカウンセリングが普及しない構造的必然  

Cocobaby 編集部
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編集:Cocobaby編集部 監修・コメント:門田貴子先生(臨床心理士・公認心理師・生殖心理カウンセラー・がん・生殖医療専門心理士)

不妊治療の保険適用化から見えてきた、「見えない心のケア」が置き去りにされる現実。

なぜ私たちは、アメリカのようにカウンセリングを当たり前に利用できないのか。

その背景には、個人のリテラシー不足ではなく、強固な「制度・文化・社会」の構造的要因が潜んでいる。

不妊治療の現場で、こうした患者の悲痛な声は絶えない。

2022年4月、日本の不妊治療(生殖補助医療:ART)はついに公的医療保険の適用となった。経済的負担が軽減され、治療へのアクセスは劇的に改善された。

しかし、その一方で「置き去りにされているもの」がある。

それが、患者の心に寄り添い、複雑な意思決定を支える「心理カウンセリング」だ。

 アメリカでは、不妊治療におけるカウンセリングは「治療プロセスの一部」として当たり前に組み込まれており、多くの患者が利用している。

しかし日本では、不妊専門の心理カウンセリングを利用する患者はごくわずかであり、クリニックにおける心理職の配置も遅々として進んでいない。

 なぜ、日本の不妊治療ではカウンセリングにコストと時間がかけられないのか。

 この問いを掘り下げていくと、そこには「患者の意識が低いから」といった単純な理由ではなく、日本の医療制度、医師中心の医療文化、そして社会全体に蔓延するメンタルヘルスへのスティグマ(偏見)という、3つの構造的要因が強固に絡み合っていることが見えてくる。

 本稿では、日米の現状比較を通じて、日本の不妊治療が抱える「見えない構造的課題」を浮き彫りにし、今後の生殖医療が向かうべきパラダイムシフトについて考察する。

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1. 圧倒的な「日米格差」:治療の一部か、贅沢品か

 まず、日本とアメリカにおける不妊カウンセリングの現状を比較してみよう。そこには、明確な「位置づけの差」が存在する。

 アメリカでは、米国生殖医学会(ASRM)が不妊カウンセラーに対して厳格な基準(修士号以上の学位、臨床経験、専門訓練など)を設けている1

そして、カウンセリングは単なる「お悩み相談」ではなく、治療の初期段階から必須のプロセスとして機能している。

特に、卵子提供や精子提供といった第三者生殖においては、事前の心理的評価(サイコロジカル・エバリュエーション)とカウンセリングが義務化されているケースが多い2

 また、費用面でも、多くの州で不妊治療やメンタルヘルスケアが保険カバーの対象となっており、カウンセリングは「治療を乗り切るための予防的介入」として機能している4

結果として、アメリカでは生涯でカウンセリングを利用する人の割合が約40%に達するなど、「心のケア」はポジティブなセルフケアとして社会に定着している6

 一方、日本ではどうか。不妊専門の心理カウンセラー(公認心理師や臨床心理士など)は存在するものの、生殖医療における法的な必置義務はない。

医療チームの中での位置づけも「配置が望ましい」とされるにとどまり、実際に専門の心理職を常勤で配置しているクリニックは少数派だ3

 そして何より、保険適用の壁が厚い。2022年に不妊治療本体(採卵、移植など)は保険適用となったが、心理カウンセリング単体は依然として「自費診療(保険適用外)」となるケースがほとんどである5

この「制度的な差」が、日本においてカウンセリングが普及しない最初の大きな理由となっている。
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2. カウンセリングを遠ざける「3つの構造的要因」

 なぜ日本は、アメリカのようにカウンセリングを制度として定着させられないのか。その背景には、以下の3つの要因が複雑に絡み合っている。

1制度・経済的要因:「目に見える結果(妊娠)」への過度な偏重

 最も直接的な障壁は、経済的負担と制度設計にある。

 日本の保険適用は、「妊娠という結果に直結する医療行為」に特化している。患者からすれば、不妊治療にはただでさえ多額の費用がかかる。

助成金や保険適用があっても、先進医療やオプション検査を追加すれば、自己負担額はすぐに数十万円に膨れ上がる。

 こうした状況下で、患者の限られたリソース(資金と時間)は、当然のように「採卵」「移植」「投薬」といった「妊娠率を1%でも上げるための直接的な行為」に集中投下される。

 結果として、「目に見えない心のケア」に対する出費は、経済的合理性の観点から後回しにされる。

つまり、「カウンセリングを受けるお金があるなら、もう1回体外受精に挑戦したい」という心理が働くのは、現在の制度設計上、極めて必然的な行動なのだ。

2医療文化要因:パターナリズムと「情報提供=ケア」の誤認

 二つ目の要因は、日本の医療現場に根強く残る「医師中心主義(パターナリズム)」である。

 日本の生殖医療現場では、医師や看護師による「治療方針の説明」や「データに基づく情報提供」が、そのまま「カウンセリング(患者中心ケア)」であると混同されがちだ。

厚生労働省の資料でも、「本来の不妊カウンセリングはまだ普及しているとはいえない」と明確に指摘されている3

 ここには、医療者と心理職の「ゴールの違い」が存在する。医療者(特に医師)の論理は、「確率がゼロでない限り、妊娠を目指して治療を提供する」ことにある。

患者が望む限り、最新の技術を駆使して「妊娠」という結果を追求するのが医療の使命だ。

 しかし、心理職の論理は異なる。心理職は、「妊娠以外の不妊問題の解決(不妊を抱えて生きることの援助)」も視野に入れる。

時には「治療のやめどき」を一緒に考えたり、「子どもを持たない人生(チャイルドフリー)」や「特別養子縁組」という選択肢を提示したりする。

 この「妊娠を絶対的なゴールとしない視点」は、日本の医療チームの中では「特異な存在」として扱われやすく、心理職の独立性が担保されにくい。

さらにクリニック経営の視点から見れば、診療報酬に直結しない心理カウンセラーの雇用は「純粋なコスト」とみなされる。

配置義務がない以上、経営的合理性を優先すれば、心理職の導入が進まないのは当然の帰結である。

3社会・文化的要因:メンタルヘルスへのスティグマと「自己責任論」

 そして三つ目の要因が、日本社会特有の「メンタルヘルスへのスティグマ(偏見)」と「自己責任論」である。

 欧米では、カウンセリングは「自己理解やストレス対処のための予防的なセルフケア」としてポジティブに捉えられている。

しかし日本では、「精神疾患と診断されない限り支援の対象にならない」「カウンセリング=心が弱い人が行く場所」というスティグマが未だに強い7

 さらに、「自分の問題は自分で解決すべき」「他人に弱いところを見せたくない」という文化的なバイアスが、不妊という極めてプライベートな悩みを専門家に開示することへの心理的ハードルを極端に高くしている。

厚生労働省の調査によると、不妊に悩む女性の78.8%が「自分で情報収集」を行い、47.9%が「夫婦間での話し合い」にとどまっている。一方で、「不妊・不育に関する相談窓口への相談」を行った人はわずか1.9%に過ぎない9

 「つらいのは自分が弱いからだ」「高いお金を払って治療をしているのだから、泣き言は言えない」。

こうした自己責任論が患者を孤立させ、専門的な心理的介入を遠ざけている。

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3. 「妊娠」だけがゴールでいいのか? 求められるパラダイムシフト

 ここまで見てきたように、日本で不妊治療カウンセリングにコストと時間がかけられないのは、患者のリテラシー不足ではなく、「結果偏重の保険制度」「医師中心の医療文化」「メンタルヘルスへのスティグマ」が強固に結びついた「構造的必然」である。

 では、私たちはこの状況をどう変えていくべきか。「カウンセリングは重要だから、もっと普及させましょう」という精神論では、この強固な構造は崩せない。本質的なパラダイムシフトが必要だ。

パラダイムシフト 1:「治療の付属物」から「意思決定のコアインフラ」への再定義

 まず、カウンセリングに対する認識を根本から変える必要がある。カウンセリングは、「傷ついた心を慰めるためのお悩み相談」ではない。

高度化・長期化する生殖医療において、患者が「自分自身の人生の方向性(治療の継続、終結、ステップアップ、第三者生殖、特別養子縁組など)」を、戦略的かつ主体的に決定するための「必須インフラ」である。

 複雑な医療情報に直面し、感情が揺れ動く中で、冷静な意思決定を行うことは不可能に近い。専門家による心理的介入は、患者が後悔のない選択をするための「戦略的投資」として再定義されなければならない。

パラダイムシフト 2:「妊娠=唯一の解決」という医療モデルの脱構築

 次に、医療現場における「妊娠至上主義」からの脱却が必要だ。もちろん、患者も医療者も「妊娠」を目指して全力を尽くす。

しかし、「妊娠できなければ治療は失敗(敗北)」という価値観は、患者を極限まで追い詰める。

 医療者が「妊娠させなければならない」というプレッシャーから解放されるためにも、心理職を「医療を相対化し、患者の人生の多様な可能性を提示する」別次元の専門家として、対等な立場でチームに組み込むべきだ。

医師が「医学的ベスト」を提示し、心理職が「人生のベスト」を共に探る。この両輪が機能して初めて、真の「患者中心ケア」が実現する。

パラダイムシフト 3:予防的セルフケアとしての「リブランディング」

 最後に、社会全体でのカウンセリングのリブランディングである。「メンタルヘルス=病気」というスティグマを払拭し、アスリートのメンタルトレーニングやエグゼクティブコーチングと同様の、「困難なプロジェクト(不妊治療)を乗り切るためのポジティブなメンタル・コンディショニング」として社会に提示し直す必要がある。

 「心が弱いから行く」のではなく、「賢く治療を進め、自分の人生を守るために行く」という価値観への転換だ。

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おわりに:日本の医療が問われているもの

 不妊治療は、先が見えない暗闇の中を歩き続けるような過酷なプロセスだ。保険適用によって「歩き続けるための切符」は手に入りやすくなった。

しかし、暗闇の中で「どこへ向かって歩くべきか」「いつ立ち止まるべきか」を照らす光(心理的支援)は、依然として不足している。

 「なぜ日本の不妊治療ではカウンセリングにコストをかけないのか?」

 この問いに向き合うことは、単に不妊治療の現場を改善するだけにとどまらない。

それは、「治すこと(結果)」だけを至上命題としてきた日本の医療が、いかにして「人生を生きること(プロセス)」を支える医療へと成熟できるかという、より根本的な問いでもある。

「妊娠」という結果だけではなく、「患者の人生」そのものを支援する体制へ。日本の生殖医療は今、その真価を問われている。

References

1.  ASRM, “Guidance on qualifications for fertility counselors: a committee opinion”
https://www.asrm.org/practice-guidance/practice-committee-documents/guidance-on-qualifications-for-fertility-counselors-a-committee-opinion-2021/

2.  Role of Mental Health Practitioner in Infertility Clinics: A Review on Past, Present and Future Directions
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6262662/

3.  厚生労働省「生殖医療における心理的援助を理解するために」
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000032xh1-att/2r98520000032xnp_1.pdf

4.  KFF, “Coverage and Use of Fertility Services in the U.S.”
https://www.kff.org/womens-health-policy/coverage-and-use-of-fertility-services-in-the-u-s/

5.  厚生労働省「不妊治療に関する取組」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-hoken/funin-01_00004.html

6.  株式会社サポートメンタルヘルス「なぜ日本人はカウンセリングを使わないのか? 欧米との”心のケア”の文化と制度の違い」
https://support-mental-health.co.jp/blogs/help-seeking-behavior/

7.  国立精神・神経医療研究センター「スティグマについて」
https://www.ncnp.go.jp/nimh/chiiki/about/stigma.html

8.  厚生労働省「不妊治療に係る診療報酬上の取扱いについて」
https://www.mhlw.go.jp/content/12404000/000913723.pdf

9.  厚生労働省「不妊症及び不育症における相談支援体制の現状及び充実に向けた調査研究」
https://cancerscan.jp/wp-content/uploads/2021/10/9e78edc7f8deb4e0261bb9fc708e94ed.pdf

専門家コメント(門田貴子先生)

不妊治療に伴う精神的負担感に対する心理支援は、日本では体制が整っていないのが現状です。

この記事では、その背景と今後求められるパラダイムシフトについて理解することができます。

妊娠判定が陰性のとき、流産がわかったとき、治療を終結するときなど、日々の診療の中で多くの心理的危機がありります。

その場面で1人ではなく、専門のカウンセラーが傍らにいることが、どれだけ患者の心を守ることにつながるか…不妊を抱えた患者の身体だけではなく、心を支えることは、医療者の重要な役割だと思います。

体外受精の保険適用が始まり、生殖補助医療管理料を算定するためには、心理的支援を行うカウンセリング担当者が必要だと国が認めてくれましたが、逆にカウンセリングは管理料に含まれているため、同時にカウンセリング料金を算定することはできないとされています。

料金が発生しないカウンセラーの賃金をどう考えるかは、各クリニックの考えに委ねられており、カウンセラーの立場を危うくしている現場もあると聞きます。

現実的に多くの患者に心理的支援が行われるよう、カウンセリング料金も保険で算定できる体制作りが早期に望まれます。

門田貴子先生プロフィール

臨床心理士・公認心理師・(生殖心理カウンセラー)・(がん・生殖医療専門心理士)
(ノートルダム清心女子大学大学院人間発達学専攻臨床心理学コース修士課程修了)

門田貴子さんは、医療・教育・家庭支援の3領域を中心に、20年以上にわたり心理支援に携わってきた臨床心理士。

病院やクリニックでのカウンセリング、女性特有の心の悩みに関する心理教育、ストレス対処の個別支援、若い世代へのプレコンセプションケア教育などを行い、特に「医療現場での心理サポート」に強みを持っています。

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