今回は30代女性 AKさんのお話。
お正月が近づくと、胃が痛くなる。
毎年恒例の実家への帰省。親戚が集まって、賑やかな新年会。昔は楽しみだった。でも今は、行きたくない。
「子供はまだ?」
毎年必ず誰かに聞かれる。叔母さんか、いとこか、祖母か。笑顔で、悪気なく、聞いてくる。
「まだなんですよー」
私も笑顔で答える。でもトイレに行って、一人で泣く。これが毎年の恒例になっていた。
今年は、行かないことにした。
母に電話をかけた。「ごめん、今年は帰れない」。母は少し寂しそうに「みんな楽しみにしてるのに」と言った。申し訳ない気持ちでいっぱいになったけど、今年はどうしても行けなかった。

去年のお正月を思い出す。いとこが生後6ヶ月の赤ちゃんを連れてきた。ぷくぷくした頬、小さな手。「抱っこする?」と聞かれて、「うん」と答えた。
赤ちゃんを抱っこした。軽くて、温かくて、いい匂いがした。「かわいいね」と言った。本当にかわいかった。でも、胸が苦しくなった。早く返したくなった。
その後リビングで、赤ちゃんを囲んでみんなが笑っている輪の中に、私はいられなかった。トイレに逃げ込んで、涙が止まらなかった。自分がすごく嫌な人間に思えた。
SNSも見られなくなった。
タイムラインに流れてくるマタニティフォトの投稿。「新しい家族が増えます」という報告。赤ちゃんの写真。幸せそうな家族の写真。
見るたびに、心が痛かった。嫉妬しているわけじゃない。妬んでいるわけでもない。ただ、辛かった。なぜ私だけ、と思ってしまう自分が嫌だった。

ある日、不妊治療の患者会に参加した。そこで出会った女性が言った。
「逃げることも、自分を守る方法だよ」
最初は「逃げるなんて」と思った。向き合わなきゃいけない。頑張らなきゃいけない。そう思っていた。
でもその女性は続けた。「無理して人に会って、無理してSNS見て、無理して笑顔作って。それで心が壊れたら、意味がないよ。自分を守ることが一番大事」
その言葉に、何かが救われた気がした。
今、私は人と会うのをやめている。親戚の集まりも断った。友達からの誘いも断った。SNSもアプリを削除した。
それは逃げかもしれない。でも今の私には、この距離が必要だった。

家で一人で過ごす時間が増えた。本を読んだり、映画を見たり、散歩をしたり。誰とも比較しない時間。
最初は罪悪感があった。「こんなことしてていいのかな」「もっと頑張らなきゃ」。そう思った。
でも少しずつ、心が軽くなっていった。誰かの幸せを見て傷つくこともない。「子供はまだ?」と聞かれることもない。ただ、静かに過ごせる。
患者会で出会った女性と、月に一度お茶をするようになった。彼女も同じように不妊治療をしている。お互いの辛さを分かち合える。何も説明しなくても、わかってくれる。
「今日、友達の妊娠報告を聞いて辛かった」と言うと、「わかる」と言ってくれる。「私も先週、同じことがあった」と教えてくれる。一人じゃないと思えた。

夫も理解してくれた。「無理しなくていいよ」と言ってくれた。「お前が元気でいることが一番大事だから」。その言葉に涙が出た。
私はまだ、妊娠できていない。治療も続けている。でも今は、自分を守ることを優先している。
いつかまた、実家に帰れる日が来るといいな。友達と笑って会える日が来るといいな。SNSを開いても心が痛まない日が来るといいな。
今はまだ、その日じゃない。でもいつか、きっと。
逃げることは悪いことじゃない。自分を守ることは、前に進むための準備だ。
そう信じて、今日も静かに過ごしている。

