はじめに:2026年、生殖医療はいま大きな転換点に
2025年を振り返ってみて、この一年は生殖医療の分野にとって大きな節目の年になっています。
新しい技術の登場や制度の見直し、研究の進展が重なり、治療の選択肢や考え方が少しずつ変わってきました。
たとえば、人工知能(AI)を活用した技術は、男性不妊治療に新たな可能性をもたらしています。また、胚の評価についても、これまでよりも正確に行えるようになりつつあります。
一方で、これまで注目されてきた遺伝子検査については、「本当に必要なのか」「誰にとって有効なのか」といった点が、あらためて議論されています。さらに、国や地域によって治療への支援やルールが変わり、治療を受ける人を取り巻く環境にも影響が出ています。
この記事では、最近の研究結果や信頼できる報道をもとに、これから生殖医療を考えるうえで知っておきたい3つの重要なトピックを、できるだけ分かりやすく解説していきます。
なお、本記事では主に欧米の動向を中心に紹介しますが、これらは日本の生殖医療と無関係な話ではありません。医療制度や倫理的な考え方は国によって異なるものの、海外での議論や研究の積み重ねは、今後の日本の議論に影響を与える可能性があります。

トピック1:AIと自動化が拓く「ひとりひとりに合った」生殖医療の新時代
2025年の生殖医療で、最も大きな変化のひとつが、AI(人工知能)と自動化技術の臨床応用です。特に、「男性不妊治療」「体外受精における胚の評価」の分野では、AIが治療を支える技術として注目されています。
これまで医師や培養士が積み重ねてきた経験に、AIの分析が加わることで、より納得感のある治療を目指す取り組みができるようになるというわけです。
以下では、それぞれの分野でAIがどのように活用されているのかを、分かりやすく解説します。
精子探索の新たな選択肢
男性不妊治療において、精子の数が極端に少ない、あるいは精液中から精子を見つけること自体が難しいケースでは、これまで治療の選択肢が限られていました。
こうした状況に対し、近年はAIを使って精子を探索・評価する技術が登場しています。
代表的な例が、コロンビア大学不妊治療センターで開発された STAR(Sperm Tracking and Recovery)と呼ばれるシステムです。
STARは、AIが精液の画像データを解析し、ごくわずかに存在する正常な精子を効率よく見つけ出す技術です。
報告されている事例では、長年不妊治療を続け、体外受精を繰り返しても妊娠に至らなかったカップルが、STARによって発見されたわずか数個の精子を用いて妊娠に成功したケースもあります。
このような技術は、「必ず妊娠できる」という保証を与えるものではありません。
しかし、これまで「難しい」とされてきた男性不妊のケースにおいて、新たな選択肢を提示する技術として期待されています。
より納得感のある胚選択へ
AIの活用は、体外受精における胚の評価にも広がっています。
体外受精では、複数の胚の中から「どの胚を移植するか」という判断が、妊娠の可能性に大きく影響します。
これまでは、胚の形や成長の様子を胚培養士が観察し、経験に基づいて評価する方法が主流でした。ただし、この評価はどうしても人による差が生じやすいという側面があります。
近年は、AIVF社の『EMA』やConceivable Life Sciences社の『Aura』といったといったAIプラットフォームを用いた胚評価システムが、実際の医療現場で使われ始めています。
これらのシステムは、胚の画像や発育データをAIが解析し、妊娠につながる可能性を統計的に評価します。
AIが評価を「決める」のではなく、医師や培養士が判断する際の客観的な材料を増やすことが目的です。
その結果、治療を受ける側にとっても、
- なぜこの胚を選んだのか
- どのような根拠があるのか
を理解しやすくなり、納得感のある治療につながると考えられています。 AIVF社によると、同社のAIプラットフォームを導入したクリニックでは、妊娠率が最大で約30%向上したという報告もあります[11]。

IVFラボの自動化と標準化への道
AIによる胚の評価と並行して、IVFラボ(体外受精を行う検査室)内の作業そのものを自動化しようとする動きも進んでいます。
メキシコシティのクリニックでは、Conceivable Life Sciences社が開発した自動IVFシステムを用いた臨床試験が行われています。
この試験では、2024年に最初の出産が報告されて以降、すでに17件の出産事例が確認されており、IVFのコスト削減や治療の受けやすさの改善につながる可能性が期待されています[2]。
一方で、IVFラボの完全な自動化には、まだ課題も残されています。
たとえば、クリニックごとに使用されている培養ディッシュの規格が統一されていないことや、規制当局による承認プロセスなど、技術面・制度面の調整が必要です。
IVFラボの自動化は、すぐにすべてが置き換わるものではありません。
しかし、人の手と技術を補い合いながら、より安定した生殖医療を実現するための一歩として、今後も注目されていく分野と言えるでしょう。
トピック2:遺伝子診断技術の進化と課題
胚の染色体や遺伝子を、移植前に調べる『PGT(着床前遺伝学的検査)』は、長年にわたり生殖医療の重要な技術のひとつとされてきました。流産のリスクを下げ、妊娠につながりやすい胚を選ぶ手段として、世界中で活用されてきた経緯があります。
しかし2025年現在、PGTについて
・「本当に必要な検査なのか」
・「誰にとって有効なのか」
という点が、あらためて見直される局面を迎えています。
PGT-A(着床前胚染色体異数性検査)は再評価の段階へ
PGTの中でも特によく知られているのが、『PGT-A(着床前胚染色体異数性検査)』です。
PGT-Aは、胚の染色体数が正常かどうかを調べ、
- 流産のリスクを下げる
- 妊娠率を高める
ことを目的とした検査です。
一方で、その効果については、現在も専門家の間で意見が分かれています。
米国生殖医学会(ASRM)は、2024年に更新した委員会見解の中で、
「すべての体外受精患者に対して、PGT-Aを routine(標準的)に行う価値は証明されていない」
という立場を明確にしました[3]。
これは、PGT-Aが生児出生率を一貫して高めるという強力な証拠が十分ではないという判断に基づいています。
こうした流れを受け、UnitedHealthcare などの大手保険会社は、2025年7月1日付のポリシーで、PGT-Aを「医学的に必要性が証明されていない検査」と位置づけ、保険適用外としました[5]。
現在、PGT-Aは、すべての人に一律に行う検査ではなく、状況に応じて慎重に検討すべき検査として位置づけられつつあります。

PGT-P(多因子疾患リスク胚スクリーニング)への警鐘
近年、新たに登場したのが『PGT-P(多因子疾患リスクを評価する検査)』です。
PGT-Pは、糖尿病や心疾患など、複数の遺伝子と生活環境が関わる病気について、将来の発症リスクを胚の段階で推定しようとする技術です。
しかし、この技術については、専門家から強い懸念が示されています。
米国生殖医学会(ASRM)の倫理委員会と診療委員会は、2025年12月8日、
「PGT-Pは、科学的にまだ十分に確立されておらず、現時点で臨床使用すべきではない」
という共同声明を発表しました[4]。
その理由として、
- 予測モデルの信頼性がまだ低いこと
- 人種や遺伝的背景の多様性を反映したデータが不足していること
- 将来の病気リスクで胚を選別することへの倫理的問題
などが挙げられています。
米国生殖医学会(ASRM)は、PGT-Pの利用は厳格な研究環境に限定すべきであり、一般的な医療現場での使用は時期尚早であると結論づけています。
技術が進んだからこそ、「どう使うか」が問われる時代へ
遺伝子検査の技術は、確実に進歩しています。
しかし2025年の生殖医療では、「できるかどうか」よりも、「使うべきかどうか」が強く問われるようになっています。
PGTは、誰にとっても必要な検査ではありません。
年齢、治療歴、流産歴などを踏まえ、一人ひとりの状況に合わせて慎重に検討することが、これまで以上に重要になってきています。
トピック3:治療の受けやすさと政策──臨床現場のリアル
生殖医療の技術が進歩する一方で、「誰が、その医療を受けられるのか」という問題は、これまで以上に重要なテーマとなっています。
治療の効果だけでなく、費用や制度、疾患の有無によって、選択肢が左右されるという現実も見えてきました。
米国の政策動向:体外受精(IVF)へのアクセスをめぐる動きと課題
2025年10月16日、米国では体外受精(IVF)へのアクセス拡大を目的とした、新たな政策が発表されました[6]。
この取り組みでは、製薬会社EMD Seronoとの合意に基づき、Gonal-f®などの主要なIVF治療薬を割引価格で提供することが盛り込まれています。
これらの薬剤は、2026年1月に開設予定の政府運営ポータルサイト「TrumpRx.gov」 を通じて購入可能になるとされています[7]。
米国生殖医学会(ASRM)は、この動きを一定程度評価しつつも、真の意味での公平な医療アクセスを実現するためには、保険適用の拡充が不可欠だと指摘しています。
薬剤の価格が下がっても、治療全体の費用負担が軽減されなければ、多くの人にとって治療が身近になるとは言えないからです。
特定の疾患がIVFに与える影響
特定の婦人科疾患がIVFの成功率に与える影響についても見逃せません。
近年は、子宮内膜症や子宮腺筋症といった婦人科疾患が、IVFの成績にどのような影響を与えるのかについて、より詳細なデータが集まっています。
2025年に発表されたスウェーデンの大規模研究では、子宮内膜症や子宮腺筋症を持つ女性のIVFの成績が分析されました[8][9]。
1,035人の女性を対象に、最大3周期のIVF治療を追跡したところ、疾患のない女性と比べて、出産に至る割合(累積生児獲得率)が低いことが確認されています。
| 患者群 | 累積生児獲得率(3周期後、ITT解析) |
| 疾患なし | 68.7% |
| 子宮内膜症および/または腺筋症 | 53.2% |
| 子宮内膜症のみ | 57.6% |
| 子宮腺筋症のみ | 42.6% |
| 両方の疾患あり | 48.8% |
出典: Alson et al. (2025) および Remembryo の解説記事に基づく [8][9]
特に、子宮腺筋症のみを持つ女性の累積生児獲得率が最も低い結果となり、この疾患が着床環境に与える影響の深刻さを示唆しています。
その他の注目すべき動向
ここまで紹介した主要トピック以外にも、2025年には、生殖医療や女性医療を取り巻く分野でいくつかの重要な動きがありました。
- ホルモン補充療法(HRT):
FDA(米食品医薬品局)は2025年11月、長年ホルモン補充療法薬に付けられていた「ブラックボックス警告」を解除する方針を発表しました[10]。
ブラックボックス警告とは、FDAが定める薬の安全性に関する最も強い注意喚起で、重大な副作用の可能性がある場合に表示されるものです。 この見直しは、女性ホルモン治療に対するリスク評価が見直されつつある流れを示す動きとして注目されています。 - Femtechの革新:
女性の健康課題をテクノロジーで支える「Femtech」分野も、引き続き注目を集めています。妊娠高血圧腎症のリスクを早期に予測する技術や、副作用を抑えたホルモンフリーの新しいIUDなどが開発され、TIME誌の「Best Inventions」に選ばれるなど、高い評価を受けています。
まとめ:希望と課題が交差する生殖医療のこれから
2025年の生殖医療は、AIと自動化がもたらす個別化・効率化という大きな希望に満ちたものになりました。一方で、PGT-Aの価値を巡る議論の再燃やPGT-Pへの警鐘が示すように、技術の臨床的有用性を慎重に見極める必要性も浮き彫りになりました。また、治療の受けやすさは依然として大きな社会課題であり、政策や保険制度の動向が個人の選択に直接的な影響を与えています。
技術革新がもたらす「光」と、それに伴う倫理的・社会的な「影」。
生殖医療の未来は、この両者に真摯に向き合い、科学的根拠に基づいた対話を続けていくことで、より多くの人が納得し、希望を持てるものへと近づいていくでしょう。
参考資料
[1] A couple tried for 18 years to get pregnant. AI made it happen. (2025, July 3). CNN. https://www.cnn.com/2025/07/03/health/ai-male-infertility-sperm-wellness
[2] Can AI really improve IVF success rates? (2025, December 8). National Geographic. https://www.nationalgeographic.com/health/article/ivf-ai-assisted-reproductive-technology
[3] The use of preimplantation genetic testing for aneuploidy: a committee opinion (2024). American Society for Reproductive Medicine. https://www.asrm.org/practice-guidance/practice-committee-documents/the-use-of-preimplantation-genetic-testing-for-aneuploidy-a-committee-opinion-2024/
[4] ASRM Ethics and Practice Committees Release New Report Concluding Polygenic Embryo Screening Is Not Ready for Clinical Use. (2025, December 8). American Society for Reproductive Medicine. https://www.asrm.org/news-and-events/asrm-news/press-releasesbulletins/asrm-ethics-and-practice-committees-release-new-report-concluding-polygenic-embryo-screening-is-not-ready-for-clinical-use/
[5] Preimplantation Genetic Testing and Related Services. (2025, July 1). UnitedHealthcare. https://www.uhcprovider.com/content/dam/provider/docs/public/policies/comm-medical-drug/preimplantation-genetic-testing.pdf
[6] FACT SHEET: President Donald J. Trump Announces Actions to Lower Costs and Expand Access to In Vitro Fertilization (IVF) and High-Quality Fertility Care. (2025, October 16). The White House.
[7] Agreement with U.S. Government to Expand Access to IVF Therapies. (2025, October 16). EMD Serono. https://www.emdserono.com/us-en/company/news/press-releases/agreement-with-u-s-government-to-expand-access-to-ivf-therapies-16-10-2025.html
[8] Alson, S., Stenqvist, A., & Sladkevicius, P. (2025). Cumulative live birth rates under three consecutive IVF/ICSI treatment cycles are reduced in women with endometriosis and/or adenomyosis diagnosed by ultrasonography. Human Reproduction, 40(12), 2332–2341. https://doi.org/10.1093/humrep/deaf184
[9] Lower success rates with endometriosis or adenomyosis after 3 IVF cycles. (2025, October 2). Remembryo. https://www.remembryo.com/lower-success-rates-with-endometriosis-or-adenomyosis-after-3-ivf-cycles/
[10] HHS Advances Women’s Health, Removes Misleading FDA Warnings from Hormone Replacement Therapy. (2025, November 10). U.S. Food and Drug Administration. https://www.fda.gov/news-events/press-announcements/hhs-advances-womens-health-removes-misleading-fda-warnings-hormone-replacement-therapy
[11] AIVF – Revolutionizing IVF with AI Technology. AIVF. https://aivf.co/

