はじめに – 不育症・習慣性流産に悩むあなたへ
妊娠の喜びが一転し、悲しみと喪失感に包まれる流産。その経験を一度ならず、二度、三度と繰り返すことは、言葉では言い尽くせないほどの精神的な苦しみを伴います。
先の見えない不安、自分を責める気持ち、周囲の無理解に傷つく経験…。もしあなたが今、そのような状況にいるのなら、決して一人で抱え込まないでください。
流産を繰り返す状態は『不育症』と呼ばれ、決して稀な病気ではありません。日本の公的な指針である「不育症管理に関する提言2025」によると、妊娠を経験した女性のうち、2回以上の流産を経験する『不育症』の頻度は約5%、3回以上繰り返す『習慣性流産』の頻度も約1%にのぼると報告されています1。
これは、カップル全体の約5%が経験する身近な問題であり、国内の患者数は約35万~50万人と推計される社会的な課題でもあります2。
そして、これほど多くの方が悩んでいるにもかかわらず、不育症を取り巻く状況は複雑です。最大の課題は、現在の医療技術をもってしても、その原因の約60%が特定できない『原因不明不育症(Unexplained Recurrent Spontaneous Abortion: URSA)』であるという事実です3。
この「原因不明」という言葉が、さらなる不安をかき立て、インターネット上には科学的根拠の乏しい情報や効果の証明されていない治療法が溢れかえっています。
この記事は、そのような情報の渦の中で道しるべを失いかけているあなたの一筋の光となることを目指しています。
国内外の権威ある学会が公表している最新の診療ガイドラインや、信頼性の高い学術論文(エビデンス)に徹底的に基づき、不育症の基礎知識から原因、検査、そして2025年現在の最新治療法までを、網羅的かつ体系的に解説します。

不育症の基礎知識
不育症への理解を深める第一歩は、その定義と現状を正確に把握することです。ここでは、国内外のガイドラインに基づき、不育症の基本的な知識をお伝えします。
不育症の定義:国際的な潮流と日本の現状
現在、日本における不育症の基本的な定義は、「流産あるいは死産が2回以上ある状態」です4。この定義には、生児の有無は問われず、出産を挟んで流産が不連続に起こる場合も含まれます。一方で、妊娠検査薬でのみ陽性が確認された「生化学的妊娠」は、現在の日本の公式な定義では流産回数に算定されません。
この「2回以上」という定義は、かつて「3回以上」が主流だった時代から変化したもので、米国生殖医学会(ASRM)や欧州ヒト生殖医学会(ESHRE)といった国際的な権威も採用する現在のスタンダードです。これにより、より早期からの検査・介入が可能になりました。
不育症の頻度:決して稀ではない現実
前述の通り、不育症は、カップルの約5%、つまり20~25組に1組が経験する、決して他人事ではない数字です。この数字が示しているのは、不育症が特定の人だけの問題ではなく、誰にとっても起こりうる身近な課題であるという事実です。不育症は、個人だけで抱え込むものではなく、社会全体で支えていくべき課題だといえるでしょう。
不育症の主な原因(リスク因子):解明されたこと、研究中のこと
なぜ流産を繰り返すのか。その原因は多岐にわたり、複数の因子が複雑に絡み合っていることも少なくありません。現在、検査によって特定できる原因は約4割で、残りの約6割は『原因不明不育症(URSA)』と診断されます5。
| 原因(リスク因子) | 不育症における頻度(日本)6 |
| 原因不明(URSA) | 60.3% |
| 抗リン脂質抗体症候群(APS) | 8.7% |
| 子宮形態異常 | 7.9% |
| 第XII因子欠乏症 | 7.6% |
| プロテインS欠乏症 | 4.3% |
| 夫婦染色体構造異常 | 3.7% |
| 甲状腺機能異常 | 9.5% |
確立されたリスク因子
確立されている主なリスク因子の内容については以下の通りです。
- 抗リン脂質抗体症候群(APS): 自己抗体により血栓ができやすくなり、胎盤の血流を阻害して流産を引き起こす疾患です。治療可能な不育症原因の代表格です。
- 子宮形態異常: 中隔子宮や双角子宮など、生まれつき子宮の形に異常がある場合、着床や胎児の発育が妨げられることがあります。
- 夫婦染色体構造異常: 夫婦のどちらかに、自覚症状はないものの染色体の構造に異常(均衡型転座など)があると、受精卵の染色体異常の確率が高まり、流産につながることがあります。
- 内分泌異常: 甲状腺機能の異常(亢進症・低下症)や糖尿病などが、妊娠の維持に影響を与えることがあります。
- 血液凝固異常: APS以外にも、プロテインS欠乏症や第XII因子欠乏症など、血液が固まりやすくなる体質がリスク因子として知られています。
新たな光:注目のリスク因子『ネオセルフ抗体』とは?
近年の研究により、原因不明不育症の一部では、自分自身の体内で作られる抗体(自己抗体)が、妊娠の継続に影響している可能性が示されてきました。
それが『ネオセルフ抗体(抗β2GPI/HLA-DR抗体)』です。2020年に報告された神戸大学の研究では、原因不明不育症の患者の約20%に、この抗体が認められたとされています7。
この知見を受けて、「不育症管理に関する提言2025」では、ネオセルフ抗体検査が新たな選択的検査項目として位置づけられました。これにより、これまで原因が分からなかった不育症に対して、診断や治療方針を検討するための新たな手がかりとなる可能性が示されています8。

不育症の治療法:最新エビデンスに基づく選択肢
不育症の治療は、原因の有無や種類によって大きく異なります。ここでは、2025年現在の最新エビデンスに基づいた主要な治療法を紹介します。
治療の基本姿勢:テンダーラビングケアの重要性
まず最も重要なのは、原因の有無にかかわらず、精神的なサポート(テンダーラビングケア=TLC)が非常に高い効果を持つという事実です。不安に寄り添い、共感的な姿勢でサポートしてくれる専門医がいるだけで、原因不明不育症のカップルの次回妊娠における生児獲得率は60~80%に達すると報告されています。一人で抱え込まず、信頼できる専門医とパートナーシップを築くことが治療の第一歩です。
原因に応じた標準治療
原因が特定できているリスク因子に対しては、それぞれに応じた標準的な治療が行われます。
- 抗リン脂質抗体症候群(APS): 低用量アスピリンとヘパリンを併用する抗凝固療法が標準治療であり、これにより生児獲得率は70~80%まで向上します。
- 子宮形態異常: 中隔子宮などに対しては、子宮鏡下での手術が有効な場合があります。
原因不明不育症(URSA)と新しい治療法
1. ネオセルフ抗体陽性例への治療
2024年9月に発表された研究により、ネオセルフ抗体が陽性の不育症女性に対し、低用量アスピリンとヘパリンを用いた治療を行うことで、生児獲得率が非治療群の50.0%から87.2%へと劇的に改善することが示されました9。これは、これまで原因不明とされてきた不育症において、治療介入の可能性が示された重要な知見といえます。
2. 着床前遺伝学的検査(PGT-A)
着床前遺伝学的検査(PGT-A)は、体外受精で得られた胚の染色体数を移植前に調べる技術です。長年その有効性について議論が続いていましたが、2025年に発表された大規模なメタアナリシス(複数の研究結果を統合して効果を検証する解析手法)により、原因不明の不育症患者にPGT-Aを行うと、行わない場合に比べて流産率が有意に低下し(オッズ比 0.42)、移植あたりの生児出生率が向上する(オッズ比 2.17)という結果が報告されました10。流産を繰り返す心身の負担を軽減する上で、有効な選択肢となり得ます。
未来の治療法:再生医療への期待
子宮内膜が薄い、あるいは癒着があるといった従来の治療では改善が難しい不育症に対し、近年、再生医療の応用が注目されています。2025年に発表されたメタアナリシスでは、子宮腔癒着症の患者に自己の幹細胞を移植する治療を行った結果、従来治療と比べて、臨床妊娠率(相対リスク 21.86)および生児出生率(相対リスク 18.00)が大きく改善したことが報告されました11。まだ研究段階ですが、これまで有効な治療手段が限られていた患者にとって、新たな可能性を示す重要な研究成果といえます。

ライフスタイルと妊娠
薬物や高度な医療だけでなく、日々の生活習慣を見直すことも重要です。特に肥満は流産リスクを高めることが知られており、5~10%程度の体重減少でも排卵機能が改善し、妊娠率が向上するという報告があります12。禁煙、節度あるアルコール摂取、バランスの取れた食事、適度な運動は、男女共に生殖能力を高める上で有効です。
おわりに:正しい知識とともに未来へ歩もう
医学は着実に不育症の「原因不明」の領域を解明し、ネオセルフ抗体の発見や再生医療の進展など、新たな治療の扉を開き続けています。一人で悩まず、信頼できる専門医とパートナーシップを築き、科学的根拠に基づいた正しい知識とともに歩んでいくことが大切です。あなたの未来に、希望の光が灯ることを心から願っています。
専門家コメント
松田 和洋(まつだ・かずひろ)先生より
流産を経験された方は、「なぜ自分だけが」「何か悪いことをしたのでは」と自分を責める傾向にあります。このような感情を生み出してしまう流産を繰り返すとなると、更に深い孤独や不安の中で過ごしていくことになります。
この記事が丁寧に伝えているように、不育症は決して珍しいものではなく、医学的にも多くが“原因不明”とされる状態です。これは「あなたの努力が足りない」という意味では決してありません。
生殖医療の現場で私たち医療者が強く感じるのは、心と体は切り離せないということです。
医学的な検査や治療と同じくらい、「これまで本当によく頑張ってきましたね」と気持ちを受け止めてもらえることが、次の妊娠に向かう大きな支えになります。実際、記事内にあるようにテンダーラビングケア(TLC)と呼ばれる心理的サポートが妊娠継続率を高めることは医学的にも示されています。
また近年は、ネオセルフ抗体のように、これまで見えなかった原因が少しずつ明らかになり、「原因不明」という言葉の中身が変わり始めています。医療は確実に前進しています。今は答えが見つからなくても、将来につながる選択肢が増えていることは、ぜひ知っておいていただきたい事実です。
大切なのは、情報に振り回されすぎず、信頼できる専門家と一緒に歩むことです。治療を急ぐ必要はありません。立ち止まること、休むこと、気持ちを言葉にすることも、立派な「治療」の一部です。
どうか一人で抱え込まないでください。あなたの悲しみには理由があり、あなたの未来には、まだ可能性があります。この文章が、その一歩を踏み出す小さな支えになれば幸いです。
松田 和洋 先生 プロフィール
鹿児島の産婦人科医・松田和洋先生は、鹿児島市で「松田ウイメンズクリニック」を運営する生殖医療専門医。
1982年に鹿児島大学医学部を卒業後、福岡徳洲会病院や鹿児島市立病院で研鑽を積み、1986〜1988年には米国ロマリンダ大学で研修を受け、高度生殖医療を習得されている。
2000年にクリニックを開設して以降、体外受精や不育症治療など高度生殖医療を地域に根付かせる役割を担っている。
松田先生は、単に医療技術を提供するだけでなく、心理的ケアや患者同士の交流支援にも力を入れている点が特徴的。
「出会えてよかったと思われる医療」を理念に掲げ、丁寧な説明と温かい診療スタイルに定評。
日本IVF学会の理事として学会活動にも積極的で、近年は妊娠前の健康管理であるプレコンセプションケアの普及にも取り組んでいる。
九州だけにとどまらず、日本における生殖医療発展のオピニオンリーダーの一人であり、医療・心理・地域をつなぐ姿勢が多くの患者から信頼を集めている。
関連リンク
松田ウイメンズクリニック
https://www.mwc-ivf.jp/
参考文献
- 「不育症管理に関する提言2025」改訂委員会. (2025). 不育症管理に関する提言2025. http://fuiku.jp/common/teigen001.pdf ↩︎
- 「不育症管理に関する提言2025」改訂委員会. (2025). 不育症管理に関する提言2025. http://fuiku.jp/common/teigen001.pdf ↩︎
- 「不育症管理に関する提言2025」改訂委員会. (2025). 不育症管理に関する提言2025. http://fuiku.jp/common/teigen001.pdf ↩︎
- 「不育症管理に関する提言2025」改訂委員会. (2025). 不育症管理に関する提言2025. http://fuiku.jp/common/teigen001.pdf ↩︎
- 「不育症管理に関する提言2025」改訂委員会. (2025). 不育症管理に関する提言2025. http://fuiku.jp/common/teigen001.pdf ↩︎
- 「不育症管理に関する提言2025」改訂委員会. (2025). 不育症管理に関する提言2025. http://fuiku.jp/common/teigen001.pdf ↩︎
- Tanimura, K., et al. (2020). The β2-Glycoprotein I/HLA-DR Complex As a Major Autoantibody Target in Obstetric Antiphospholipid Syndrome. Arthritis & Rheumatology, 72(11), 1882-1891. ↩︎
- 「不育症管理に関する提言2025」改訂委員会. (2025). 不育症管理に関する提言2025. http://fuiku.jp/common/teigen001.pdf ↩︎
- 神戸大学. (2024, September 26). ネオセルフ抗体が原因不明の不育症の治療に新たな可能性をもたらす.https://www.kobe-u.ac.jp/ja/news/article/20240926-65980/ ↩︎
- Mumusoglu, S., et al. (2025). Preimplantation genetic testing for aneuploidy in unexplained recurrent pregnancy loss: a systematic review and meta-analysis. Fertility and Sterility, 123(1). ↩︎
- Gao, J., et al. (2025). Meta-analysis of mesenchymal stem cell therapy for intrauterine adhesions: a comprehensive consideration of efficacy and safety.Frontiers in Bioengineering and Biotechnology, 13. ↩︎
- Gitsi, E., et al. (2024). Nutritional and exercise interventions to improve conception in women suffering from obesity and distinct nosological entities.Frontiers in Endocrinology, 15. ↩︎


